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かんかんむしはうたう
かんかん虫は唄う
吉川 英治
「週刊朝日」1930(昭和5)年10月号~1931(昭和6)年2月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 91,006 字 · 182 页
そして、既成品屋の店頭人形のように反っくり返って歩く良人の高瀬理平をせきたてて厩舎の方へいそいだ。
ちいッ、とトムは舌うちをして、彼等の後塵に尾いてゆくことをやめた。そして、彼もまた、その日は瀟洒であった赤革靴のきびすを回すと、やや低いスロープを作っている芝生の窪みに、お光さんがいた。さっきから探しあぐねていた彼女が、白い手をかざして、自分を呼んでいる!
そこに、お光さんと共にいた黒眼鏡も、樫井も西村も三浦も、みなトム公よりは早く高瀬の家族たちを見つけていたらしく、彼がそこへ駈け寄っても、多くのことばをかけなかった。そして厩舎の方へと、なだれ押しに集まってゆく紳士淑女群の中にある高瀬理平と、そして奈都子と今村と、夫人のお槙とに、等しく探奇的な注視をそこから送り合っていた。
で、トム公も、低い背丈をのばして、お光さんの側から彼方の埃っぽい中に騒然としている貴族色の集団を浅ましいもののように眺めることにした。
人々は、厩舎に曳きこまれた勝馬を宥りにゆくのでもなく、敗者の騎手を慰めに行くのでもなかった。競馬場は飽くまでも、勝者の独壇場であり燦く者のためにある広場だった。