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かんかんむしはうたう
かんかん虫は唄う
吉川 英治
「週刊朝日」1930(昭和5)年10月号~1931(昭和6)年2月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 91,006 字 · 182 页
最終のハンデキャップ競走が終ると共に、ファンたちは、いっせいに、人気騎手の島崎を取り巻いた。銀の優勝カップを取り落すまいとして、高く空に右手をあげている島崎を目がけて、女、男、白色、黄色、あらゆる人種と階級のファンたちが、彼の握手を争奪した。わけてもその中に、中年の婦人たちが甚だしく勇敢であった。
その中に、高瀬の家族たちも、押し揉まれていた。
島崎は、チラと、その人たちを群衆の中に見かけると、巧みに、ファンの群を逃げて、短い時間に、理平や奈都子たちとことばを交わした。神学生の今村は、夫人に紹介されて学生らしい初心さをつつみながら、島崎と握手を交わした。
「ね、いらっしゃいよ」
理平が知人に肩をたたかれて、後ろを向いている瞬間に、お槙は、ついと、島崎のそばへ寄ってささやいた。
「いらっしゃいな! ね!」
「どちらへですか」
「本牧へよ」
「どうも、今夜は」
「それや、ひく手は多いでしょうけれどさ、ひどいわ! 何日かの、あれッ限りでは!」
「おいおい」
理平は振り向いて言った。
「今な、そこで十番館のダグラスさんと会ったから、一緒に馬車へ乗って、先へ行くから」
「あなたは、どちらへですか」