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かんかんむしはうたう
かんかん虫は唄う
吉川 英治
「週刊朝日」1930(昭和5)年10月号~1931(昭和6)年2月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 91,006 字 · 182 页
「そんな事をしなくっても、チラと、おめえの姿を見せてやれば気がつくだろうぜ。プリンス、頼まあ」
「それだけか」と、トム公の影は海藻の中を泳ぐ縞鯛のように、ぴちぴちと、正確な針路を探って、青い庭園の闇をわけて行った。
別荘の日本間には、どこの座敷にも灯明がはいっていた。が、そこには客のすがたはなかった。噪音を辿って、トム公は洋館の窓から客間をのぞいてみた。
そこは、濁りきった空気と噪音を入れたガラス箱みたいに不透明である。泥酔した外人、すれッからしな通弁、芸者ガール、賓客も主人公側のものも、けじめなく踊り疲れ、飲み疲れて、長椅子の隅やあっちこっちに、とぐろを巻いているのだけがわかる。
日本人も幾人かいたが、騎手の島崎だけは見えなかった。帰ってしまったとすると、お光さんやみんなはずいぶん馬鹿な目を見るわけだ。
「どうしたんだろう?」
トムは窓を離れた。そこは、十歩を出ると本牧の海である。波打ぎわから咽せあがる汐の香が白く煙っている。洋館の屋根の風車は勢いよく旋っていた。
「日本間の方へ、茶を喫みに行ったのかも知らねえな。そうだ、きっと、そうだ」
裏庭の海べづたいに、彼は歩き出した。