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かんかんむしはうたう
かんかん虫は唄う
吉川 英治
「週刊朝日」1930(昭和5)年10月号~1931(昭和6)年2月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 91,006 字 · 182 页
と署長は無造作に顎をすくって、
「僕はまだちと用事が残っとるから、後から行く。何、トム公のことは武藤主任が何もかも知りぬいとるから、武藤君にやらすがよい」
「じゃ、署長、ご迷惑でしょうが」
と、理平が彼を客間へ迎えようとすると、さっきから、しげしげと、トム公のすがたを見入っていた千歳の女将が、そのトム公の腕をつかんで引きずり上げた巡査へ向って、ていねいに、腰をかがめた。
「あの、失礼でございますが、ちょっとお待ちくださいませんか」
署長と、高瀬とは、振り顧って、
「女将、なんじゃ?」
「はい、この子のことで、すこし……」
「おまえが、かんかん虫のトム公などに、何の用があるのか?」
「相沢町字和蘭陀横丁、千坂桐代、そう仰っしゃったように存じますが」
巡査も、妙な顔をしながら、
「はあ、それがトムの母親にあたる者で、今、どこかの施療病院にはいっとるということです」
「もういちどお確かめ下さいませんでしょうか。母親が千坂桐代――そしてトム公というその子は、本名を、富麿といいませんかしら」
「さ、それはどうですか。おい、トム。貴様の本名はトムではなくて、トミか、トミ麿か」
その巡査の顔を見ないで、トムはじっと千歳の女将のすがたをながめていた。