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かんかんむしはうたう
かんかん虫は唄う
吉川 英治
「週刊朝日」1930(昭和5)年10月号~1931(昭和6)年2月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 91,006 字 · 182 页
こんな例はありがちなことです。――それからトム公の方ですが」
と、チラと、彼をしり目にかけて、
「県庁の警務部へ行って協議した結果ですが、たとえ本人が、大隈伯のおたずねになっている千坂家の身よりの者であるにせよ否にせよ、情実でこのまま、放免することはいかんという意見なんです、で、一応は、本署から彼の脱走した戸部の懲治監へ送り返してやることに決めました。どうぞ、それのご諒承を」
と、宣言的に、経過を告げて、すぐトム公の手くびをつかんだ。
「刑事主任、ついでに、連れ帰ってくれたまえ」
「ちょっとお待ちください」
「何をしているんだ君」
「彼はどこへ行きましたか」
「彼って」
「黒眼鏡です、今の、巾着ッ切です」
「? ……」
「……便所じゃありませんか。中折帽がおいてある」
と、理平がつぶやくのを、トム公は、横を向いて笑った。そして、お光さんに、眼くばせした。
「いるんでしょう、見て来ますわ」
と、お光さんも、部屋の外を覗き廻った。そして、ちらっと、広東服の裾の端を見せたまま、彼女もそれっきり帰らなかった。――もちろん金剛石の指環も、トリック写真も、その隠しにつッこんだまま。