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かんかんむしはうたう

かんかん虫は唄う

吉川 英治

「週刊朝日」1930(昭和5)年10月号~1931(昭和6)年2月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 91,006 字 · 182 页

青空文庫

*

大隈伯の代理という人と、千坂家の家令という老人とが、紋付袴で、千歳の女将に伴われて、横浜駅から大江橋のすぐまえにある千歳楼へはいったのは、同じ日だった。

女将は興奮していた。一昨日の晩から何か非常な奇蹟にぶつかったような驚きもあったし、最高な善事のために自分を疲らしているという満足もあった。

帰るとすぐに、しきりと、あっちこっちへ、電話をかけていた。高瀬家の番号も、警察署の番号もよび出された。――やがて程経て、金春の春太郎姐さんが、すこし、瞼に泣いた痕を見せながら、豆菊の手をひいて、連れて来た。

豆菊は、いつもの座敷着とは、すこし袂のみじかい銘仙の着物を着せられて、髪まで、お下げ髪に改められていた。賢い彼女の眼も、すこし、きょとんとしていた。

「このお方が、おきく様という、お末のお嬢様でござりますか」

と、両手をついて言う千坂家の老家令に、彼女はやはりきょとんとして、抱え主の春太郎のそばへばかり寄っていた。

やがて、しめやかに、襖を閉てきって、大隈伯の代理の人と、女将とが、何か細々と言いきかせるうちに、豆菊はしゅくしゅくと泣き出した。