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かんかんむしはうたう

かんかん虫は唄う

吉川 英治

「週刊朝日」1930(昭和5)年10月号~1931(昭和6)年2月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 91,006 字 · 182 页

青空文庫

その心もちが分ったので、女将はまたせかせかと警察へ電話をかけた。話がついたと言って、急に馬車をいいつけて、豆菊も加えて、四人づれで伊勢佐木署へ出頭した。

県庁との打合せに、さんざ手間がかかったらしいが、トム公はそこにいること二時間ばかりで、一同へ下げ渡された。馬車はまた一人の客を容れて、そこから山の手へ向って鞭を打った。

「分っている? 赤十字病院だよ」

「分っています」

「いそいでおくれネ」

女将は、こんなうれしい日はないと言って、涙をふいた。まったく、うれしそうだった。

豆菊が、お下げ髪に結って、きちんと、銘仙の袂を膝に重ねているので、トム公は、ぎごちなかった。髯の生えているそばの人、紋付袴で謹厳そのものといった態度でいるそばの老人、それも、鬱陶しいものだった。

ただし彼は、こうして公然と、母のいる病院へ訪れ得ることがとても愉快であった。一刻もはやく、冷たいだろうと思う母の手を、自分の頬ぺたに当ててやりたかった。

馬車はかなりの歩速で躍ッていたが、馭者の鞭の数がまだ少ない気がした。黙っているお菊ちゃんだってやっぱり同じだろうと思った。彼は、妹の眼にいっぱいうるんでいるものを見て、共に、目を熱くしている自分に気づいた。