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かんかんむしはうたう

かんかん虫は唄う

吉川 英治

「週刊朝日」1930(昭和5)年10月号~1931(昭和6)年2月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 91,006 字 · 182 页

青空文庫

いたいたしい、厳粛な光景が、人々の眼を打った。注射によって、わずかな時間の生を意識した盲目の病人は、からだを蔽っている白いきものを、無性にうごかそうとしている。ベッドの両方からは、トム公と、豆菊とが、母の胸へ、頬へ、まるで泣いてもいないように顔をすりつけてふるえていた。

細い、蝋細工みたいな指が、何ものかを、宙に探った。トム公の髪の毛をつかんだのである。片方の手には、豆菊の背をつよく抱えよせて、異様な、泣くとも歓喜ともつかない声を、咽から発した。

「ゆ……ゆるして! わたしが作った罪を、おまえたちの一生にまで、こんなに負わせてしまうなんて。……でも、女の一生って」と、きれぎれだった。「初めの一歩ね、貞操って、自分のために大事なものよ……そ、それを、お母さんは」

すこし息をついた。しかし、あわただしい死の督促が彼女の心臓をたたいたらしい。

「ふたりとも、堪忍してね。……堪忍してね」

わッと、トム公があるッたけの声を出して泣いた。

「おっ母あ……」

「お母あさん」

「おっ母あ。……おっ母あ」

「おっ、おっ……おっ母さん……」

直立していた主治医と看護婦とは、眼を見あわせてその枕元へ、無言のまま冷たい歩みを運びかけた。