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かんかんむしはうたう
かんかん虫は唄う
吉川 英治
「週刊朝日」1930(昭和5)年10月号~1931(昭和6)年2月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 91,006 字 · 182 页
「わからないわ、私には」
「おっ母あ、何と言ったんだっけ。――死ぬ時に」
「あやまっていたわ」
「どうして謝るんだろう。自分の子供へ」
「よしてよ……」
「また泣くの。泣虫」
「自分だって、泣いたくせに」
汽車は、疾風を衝いていた。
トムは、ちらと窓外をのぞいた。
「あ、もう横浜は見えねえな」
「そんなことば、やめてよ」
「おまえ、もうお嬢様になッちまったのか。早えなあ」
と、少し浮かない顔で、
「菊ちゃんは、華族のお嬢様が似合うよ。だが、おいらは嫌いだ。金持もきらいだし、華族様もきらいだ。……ああ、おっ母アが生きていれやいいのになあ。おっ母アとなら、一生でも、かんかん虫をしていた方がいい」
「よしてよ、そんなことば。トムさんが、かんかん虫をしていたことなんか、これからは言わない方がいいのよ。千歳の女将さんも言っていたわ」
轟音が変った。汽車は、ひとつの川をうしろにしていた。
「おら、帰ろう!」
「どこへ、兄さん」
「菊ちゃん、あばよ」
トムはふいに、そばにあった帽子をつかんで扉の外へ駈けだした。あッと、豆菊と付添の二人が、窓を開けたとたんに、トム公の矮短なからだは、激流する空気の震音の中を、もんどり打って、線路堤から沼地らしい蘆のなかに振り飛ばされていた。