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かんかんむしはうたう
かんかん虫は唄う
吉川 英治
「週刊朝日」1930(昭和5)年10月号~1931(昭和6)年2月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 91,006 字 · 182 页
人生のなかで、およそこんな感激的なことがあろうか。トムは、それを眺めていると、からだじゅうを幸福でくすぐられるように欣しかった。果した約束に、爽快であった。
だが、その深夜の享楽は、大騒ぎは、当然監視人に発見されずにいない。トムはすぐに別室へ拉し去られた。東京の千坂家へ、大隈伯へ、また県庁の方へ、十幾日間の交渉がかわされた結果、トム公はやはり放縦だった母の血を多分にうけたトム公であって、ある年齢までは、それを厳格な監視の下におく必要があろうときまって、八丈島の最不良児感化院へ送ることになった。
月に二回、横浜を出帆する八丈丸に、トム公は監視付きで乗せられた。もう海の寒い冬だった。だがその朝は、港いッぱいに陽がさして、水蒸気が水面にあった。
「プリンス! プリンス!」
トムは左舷に立って、自分へさけぶたくさんなハンケチ女の群を見出して笑った。お光さんはその中に立って、白い手をさしあげていた。唇が届かない――トムはそう思った。――唇が届かない。
また、男たちは、男ばかりで一団になっていた。愚連隊の連中である。警官もちらほら辺りに見えるのに、二重廻しを着て、あの黒眼鏡がやはりトムを見送りに来ていた。