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かんかんむしはうたう

かんかん虫は唄う

吉川 英治

「週刊朝日」1930(昭和5)年10月号~1931(昭和6)年2月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 91,006 字 · 182 页

青空文庫

トム公の返辞は、元気がなかった。六畳一室の闇の中には、なんにも、食物のにおいがなかった。

「おっ母あ、ご飯を食べたのかい、今夜は」

「食べたよ――お民さんのお家から、また一合、拝借してネ」

「じゃ、もう何合も借りができたんだな。今に、倍にして、返してやるよ」

「お民さんは、親切だから、まだほかに、砂糖だのお醤油だの、お野菜まで」

「アア分ったよ、今に、みんなお礼するよ」

「おまえ、ご飯は」

「おら、眠たいヨ」

畳をなで廻す手が、トム公のからだへ探り寄った。そして、その重いからだを、乳呑み児のように抱いて、自分の寝ていたうすい夜具の中へかかえ入れた。トム公は、眼をあいていながら、母のなすがままに、甘えていた。

「おまえ、きょうも仕事に行かなかったの」

「仕事どこじゃないもの」

「悪いことをして歩くのは、やめておくれ。ネ……おっ母さんが、ひとりで、こうしていても、どんなに、心配だか。……分るだろう、おまえにも」

「おら、悪いことなんか、した覚えはねえ」

「だって、おまえは、愚連隊だって、言われているよ」

「誰に」

「警察の人に」

「警察のやつなんか、こっちの味方じゃないもの」

「小さな者のクセにして、そんなことを言うから、悪者に間違われるんですよ」