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かんかんむしはうたう

かんかん虫は唄う

吉川 英治

「週刊朝日」1930(昭和5)年10月号~1931(昭和6)年2月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 91,006 字 · 182 页

青空文庫

が、――トム公は、巡査のすがたを見ると、反撥的に、反抗的に、

「おら、誰にだって、富麿なんて、呼ばれたことはねえもの。おら、トム公だ。かんかん虫のトムだ!」

佩剣をにぎって、立っていた巡査部長は、何か手帖へとめていた鉛筆の尖を向けて、

「あれだろう、引ッぱり出したまえ」

と、部下へ言った。

巡査たちの泥靴が、床をふまないうちに、トム公はバネにかけられたように、木靴を両手にさげて、外へ飛び出した。

「逃げるもんか! 誰が逃げる!」

駄々ッ子のように呶鳴りちらして、彼が、木靴へ足を入れると、彼の母親の泣く声が長屋中を起した。隣、隣、隣、前、前、前、イロハ長屋のすべての戸があいて、同時に、露地をふさぐほどな人影が、真っ黒に、そこへ群れた。

「なんで、トム公を引っ張って行くんだ」

と、まっ先に、食ってかかったのは、屠殺場へ通っている仙吉という男だった。

警官たちは、牛を殺す時のような嶮しい眉間をした男の権まくに驚いて、一応の釈明を与えた。

「山手署の方では、全然関知しないことだが恐喝罪ということで、拘引するんじゃ、署ではすぐ、水上署の方へ引き渡すから、あっちへ行って、聞いたらよかろう」