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かんかんむしはうたう
かんかん虫は唄う
吉川 英治
「週刊朝日」1930(昭和5)年10月号~1931(昭和6)年2月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 91,006 字 · 182 页
凱歌をあげた馬車はその勢いに駈られつつ、代官坂の下りへかかって、まるで、無軌道をゆく機関車みたいに、無鉄砲に、駈け降りた。
「やれ、やれ、どこまでも!」
鞭と警鈴は、乱暴者の気をあおるに持ってこいの伴奏だ。急坂の加速度への調節なしに疾走をつづけた。だが、坂の半ばまで来ると、彼らもやや狼狽して、
「あぶない! あぶない! あぶない!」
と、さけび出した。
馬は、疳を起したように、止まらなかった。いや止め得なかったのかも知れぬ。四ツの車輪は、壊れて飛ンじまいそうに、猛烈な回転をつづけながら坂の下へかかった。前は谷戸橋の袂で、すぐ海岸にちかい、大岡川の川口だった。
「わッ」
「トム!」
「早く出ろ!」
彼等はいッぺんに、馬車の両方へ跳び下りた。最後に――トム公が跳んで降りたすがたを認めると、大胆なる馭者は、びしりッと置土産にひと鞭くれて、谷戸橋のたもとで、ぽんと、地上へからだを交わした。
同時に――真っ暗な河の中へ、すさまじい音響と嘶きがとびこんでいた。水けむりが、橋のらんかんまで濡らした。川口の税関派出所のガラス戸が開いて、眠たげな監視の帽子が、びっくりして河の中をのぞき廻している頃――彼等の愚連隊は――水底に半ぶん沈没した馬車のすがたを、向う河岸にいて、ながめていた。