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かんかんむしはうたう
かんかん虫は唄う
吉川 英治
「週刊朝日」1930(昭和5)年10月号~1931(昭和6)年2月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 91,006 字 · 182 页
「とッくですよ」
この地下室では、朝の微光も感じられなかった。
「谷戸橋で何を騒いでいるんだ」
「警察署の監獄馬車が河の中へ堕ちて、馬車の土左衛門ができたッていう騒ぎでさ。――何だろうと思って、見物に行ってみると、その馬車は、引ッ張りあげてあるけれど、後の騒ぎが大変です」
「フーム、どの辺だい、それは?」
と動じない李鴻章の顔も、だいぶあやしくなりだした。不安そうに水煙管をおいて、卓の上に、両肱をのせた。
「築港の方から、舟で来るとすると、海口の税関の見張所と、谷戸橋のあいだ辺りの見当ですがね」
「…………」
「親方にも、覚えがあるでしょう」
「ある」
「そこへ、ゆうべ、馬車が堕ちたんでさ。……で、人夫や船頭を連れて来て、そのやっかいな土左衛門を引き揚げにかかると、誰が最初に見つけたのか、河底の泥土ン中から、金時計を拾ったやつがあるというわけなんで」
「ふ……」
「すると、おれも拾った、おれも見つけたと、たちまち、馬車の方はそッち退けになっちまって、この河には金時計がウンと沈んでいるというんで、まるで喧嘩腰で、河ざらいみたいな騒ぎがもち上がッたんでさ」
「ふ……」
李鴻章の顔は、だんだん、泣き出しそうに、曇ってしまった。