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かんかんむしはうたう
かんかん虫は唄う
吉川 英治
「週刊朝日」1930(昭和5)年10月号~1931(昭和6)年2月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 91,006 字 · 182 页
あそこのテキは、こんなに厚いぜ」
指であつさを示してみせると、その手を、彼女の金剛石が打った。
「なまいきを、お言いでない」
「うそさ、何でもいいや」
「アメリカ屋のお昼を奢ってやろうか」
「朝飯だろう」
「トム、顔を洗うといいよ」
と、彼女は、七宝側の時計をのぞいて、釦の下へかくしながら、
「もうすぐに、午砲じゃないか。そんな寝呆けた頭で外へ出ると、すぐに、御用になるよ」
ふたりは、口笛をあわせながら地下室を出た。南京街のせまい路地にまで漲っている太陽の光を見ると、トム公の矮小なからだに、争闘的な血が、むくむくと温度をもった。
「さ。きょうから、戦いだぞ」
トム公は、ズボン吊をしめ上げて、両手をもって、青空を突いた。
「しっかりおやり」
「やるとも」
「軍用金はあるのかい?」
「軍用金なんか、一銭もねえや」
「そのあいだ、おっ母さんを、どうするの」
「どうかするだろう」
「心ぼそいネ。……やろうか、一円ばかり」
欲しそうに、考えているまに、西洋料理のアメリカ屋の前まで来てしまった。
温いミルク、パン、彼の渇望してやまなかった大きなビフテキ。トム公は、口もきかずに食べてしまった。