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かんかんむしはうたう

かんかん虫は唄う

吉川 英治

「週刊朝日」1930(昭和5)年10月号~1931(昭和6)年2月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 91,006 字 · 182 页

青空文庫

「……ないわ、わたし」

と、蚊のなくように。

「ないの」

「え」

「あら。あるッて言ったわ、昨日。うそよ、女将さん」

と、白粉の下ににきびのある雛妓が告げた。

「――きのう、豆菊さんが、わたしに言っていたわ、欲しい、欲しいって」

「そう、何」

「お金」

「え、お金」

「うそ!」

と、豆菊は、泣き出しそうになって、顔をかくした。

馬車が止まった。

雛妓たちはわれがちに降りた。活き活きとかがやく盛り場の無数な灯が小さな胸を嵐奏する。街光と騒音をあびながら、女将は、人浪に押されながら、らんちゅうのように泳ぎたがる彼女たちを、

「迷子になっても知らないよ。ひとりで歩くと、異人が手をにぎるよ」

と、叱りながらすすんだ。

勧工場へはいって、勧工場から吐き出されて来た時には、各が、小さな小箱を一ツずつ胸にかかえていた。豆菊も持っていた。しかし、小さな淋しい顔は、明るい灯をあびるほど沈んでいた。

相生座には、川上音二郎の壮士芝居がかかっていた。アセチリン瓦斯の白い光の中に、血みどろな絵看板と、幟が、ばたばたとはためいている。

その入口のわずかな空地に、新舶来英国聴音機御一名二銭と札を立てている男が、空箱に、赤毛布をかぶせ、その上に一箇の機械をのせて十数本の象牙の乳首のついているゴム管を、その機械から群衆の耳に貸していた。