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かんかんむしはうたう

かんかん虫は唄う

吉川 英治

「週刊朝日」1930(昭和5)年10月号~1931(昭和6)年2月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 91,006 字 · 182 页

青空文庫

「あの猿は、船のですか、それとも、誰か飼主があるんですか」

飼主は一等船客の外人だった。彼は、日本婦人の狂噪を軽蔑しながら、そんな大事な物を船室の外へ置いたのが悪い。こっちに責任はないという意味を一息に周囲へ向ってしゃべった。

「猿を買います! 船長、猿の代価を払いますから、短銃で射殺してください」

飼主は、やや日本語がわかるとみえて、ひろい肩幅を婦人の前へ押して来た。

「いけません、猿、売りません」

「いいえ、売ってください」

「飼主、わたくし愛している、動物の生命を売る! 否、否」

飼主の顔も猿みたいになった。

「あなた、会社の職長さん?」

「はっ」と、職長はいらいらした拳を腰につッかって、

「――高瀬さんの奥さまでございましたな」

「はい、弁天通りの高瀬でございます。主人の代理で、船へ、お贈り物を持って来たところですの」

「飛んだご災難ですな」

「何とか、会社として飼主へかけ合って下さいませんでしょうか」

「かけ合ってみましょう」

船底作業が終ったので、午後から船渠に水を張って三時四十分の満潮期には、キッカリ、船を出さなければならない。同時に、次の入渠船の約束もあるので、職長としては、なおさら、気が気ではなかった。