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かんかんむしはうたう

かんかん虫は唄う

吉川 英治

「週刊朝日」1930(昭和5)年10月号~1931(昭和6)年2月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 91,006 字 · 182 页

青空文庫

「オイ、逃げると、手荒くなるぞ」

「何も逃げやしない」

黒眼鏡もすこし度胸をすえたように、その手を突ッ放して、お光さんの方へ迫った。

「ご婦人!」

「なあに」

「君はきのう柳田商会にいた娘さんじゃないのか」

「そうよ、覚えているわね」

「なんだって、無頼者を使嗾して僕をこんな所へ引っぱって来たんですか。君たちは白昼に追剥でもやろうっていうのか」

「…………」

お光さんは、相手にならないで、笑いながら墓地の鎖を跨いだ。そして、大きな菩提樹の下から振りかえって、

「諸君、こっちへ連れておいでよ、その黒眼鏡を――」

ここへ来ると、愚連隊たちは、急に黒眼鏡を罪人のように小突き廻した。彼は、墓地の上へ追いあげられて、菩提樹の下に起立を命じられた。言うがままにしなければ、その度ごとに、拳骨が来るのだった。

「誰も来やしまいな」

と、今村がきょろきょろした。

「だいじょうぶだよ」お光さんが言った。

「今ね、墓番の若夫婦にたのんでおいたから……」

「誰か寝てるぜ、あんな所に」

「どれ?」

今村の指さす所へ、みんな鋭い目を向けた。墓と墓とのあいだに、ひとりの清国人が、新聞紙を敷いて昼寝をしている。