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かんかんむしはうたう

かんかん虫は唄う

吉川 英治

「週刊朝日」1930(昭和5)年10月号~1931(昭和6)年2月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 91,006 字 · 182 页

青空文庫

トム公は、思わず木桟の目隠し窓へ、顔をこすりつけて見たけれど、馬車の轍は、深夜の街上を、もうグワラグワラと廻っていた。彼のからだは、その中で、セルロイドの噴水玉のように躍るのだった。

彼は、唇を噛んだ。

絶望と、憤怒のいろを抑えて、可愛らしく閉じた眼に、涙はなかった。その代りに彼の手は、腰のバンドを探って、そこに挟んであった金槌のような物を握りしめていた。それはトム公の職業用のカンカン鎚である。

商船の横ッ腹をなぐる時のように、小さな槌は、突然、馬車の木桟をグワラグワラと破壊しはじめた。馬車は、爆弾を乗せて走っているように木片を飛ばして疾駆した。前後に乗っていた警官たちは、狼狽しながら、かつ怖れながら、

「こらッ」

と、中へはいった。

馬と車は、曲がッた形に、突然、砂利を噛んで、疾駆を止めた。そこは、山手の居留地の辻だった。鬼蔦のつるがスコッチの外套でもかぶっているように絡んでいる異人館の塀際から、煙のような人影が不意に襲って来た。

彼らはまず馭者台の馭者をひきずり下ろして、息も出ないように踏みつけておいてから、馬車のまわりを一周して、

「トム公! トム公!」