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ばいりせんせいぎょうじょうき
梅里先生行状記
吉川 英治
「朝日新聞」1941(昭和16)年2月18日~8月24日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 209,260 字 · 418 页
そうして神の投影を、心泉にうけていた頼房には、自身、たれより身近な幕府の親藩でありながら、幕府などというものは、しばしの便法機構か、朝廷の代務府ぐらいにしか、考えられなかった。
よく拝賀の折などに、三百諸侯が、口をそろえて、将軍家へ賀していう、
(ご政道は万代、お家は万々歳までも)
などという阿りは、おかしくもあり、苦々しくも思われて、嘘にもいえない頼房であった。
だからかれは、家康の遺法や幕府の組織なども、永久にこうなくてはならないものとは、その高い国体的見地から、考えていないひとなのである。
その親にして光圀があったといえよう。光圀が、修史の使命と眼目を、国体の闡明において、幕府の意向などには頓着せず、なおさら自藩の存亡も敢て念とせずにやるという当初の抱負を聞いて、
(わしの子だ。そうか。さすが光圀である)
と、歓んだというのを見ても、頼房が、光圀の幼少から、父として、何をもっとも注ぎ入れようとしていたか、よく察しられるのである。
幼少にうけた感化としては、光圀にとって、もうひとり、重大な役わりをした女性がある。
三木仁兵衛の妻である。――光圀の母久子が、妊娠中から身を預けられていた棚町の三木家の妻女。