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ばいりせんせいぎょうじょうき

梅里先生行状記

吉川 英治

「朝日新聞」1941(昭和16)年2月18日~8月24日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 209,260 字 · 418 页

青空文庫

恋すちょう……

一

恋すちょう……

一

二月の風は水洟をそそる。この地方はまだ春も浅い。ひろい畑は吹きさらしている。

昼まになっても、日かげの霜ばしらは、棘々とたったままだし、遠山のひだには、まだある雪が薙刀のように光っていた。

「麦踏め、麦踏め。――芽をふめ、芽をふめ、芽をふめ」

畑のなかで独り言が聞える。寒さと風に対抗しながら、それはだんだん大声となった。麦畑で、麦を踏んでいる老人の唇からである。

むこうの方でも、ふたり程、鍬をもって麦の畝をすいていた。

「老公か。……あのお声は」

ひとりがひとりへふり向くと、鍬の手をやすめ合って、

「はははは。そうらしいな。寒さを克服なさるため、足拍子にあわせて、書物のうちのお好きな辞句でも、吟誦していらっしゃるのであろう」

「いや。……」と、ひとりは耳たぶへ手をあてがいながら、

「麦ふめ麦ふめ。芽をふめ芽をふめ。と聞えるが」

するとすぐそれは聞えなくなって、彼方にいる老百姓が、麦踏みをやめてしまい、こっちを見ているふうである。胸にまでかかりそうな白い髯が、風のなかに著しく光って見える。

「おううい」

やがて聞えてくる声に、ふたりはあわてて鍬の柄を持ちかえ、