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ばいりせんせいぎょうじょうき

梅里先生行状記

吉川 英治

「朝日新聞」1941(昭和16)年2月18日~8月24日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 209,260 字 · 418 页

青空文庫

三

「失礼ですが、それまでに、貴公はどこでどういうご修行をつまれたので……?」

「修行などというほどなことはしておりませんが、養家の貧したため十五歳で京都の妙心寺に小僧にやられ、名を十竹ともらい、笈を負うて、若いあいだ、南都、高野、諸山を遍参して、すこしばかり仏法をかじったり、一切経を読んでみたり、また論語にしがみついたりしましたが――ふと、国学にはいって、この皇国の真髄を明示されてから、断然、髪をたくわえて、江戸にのぼりました。――三十歳ごろですそれが。……いや壮気満々の時代で、一剣天下を治めんというような気概でしたな。はははは」

三

介三郎は語りつづけて、

「その頃、水戸のご当主、いまの西山荘の老公には、大日本史のご編修を思いたたれていた折、ご邸内に彰考館をたてて四方に文学の士をあつめておられると聞き、初め筆生としてはいった。――以来、こんな不才にご眷遇次第にあつく、ご隠居あそばされた後も、このようにご奉公しているわけです」

と、むすんだ。

牟礼大八が、また訊ねて、

「して、武芸はどこでご修行になられましたか」

「ほんの、たしなみ程度、何流というような、履歴は持ちません。