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ばいりせんせいぎょうじょうき

梅里先生行状記

吉川 英治

「朝日新聞」1941(昭和16)年2月18日~8月24日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 209,260 字 · 418 页

青空文庫

四

男親が大愛をもって、一見、愛さざるが如き苦しみを、屡、彼に与えたのだった。

そのひとつ。

これも千代松十二歳という夏の七月のこと。

暴風雨のあとで、隅田川の濁流は岸をひたし、壊れた家の材木だの、ひとや家畜の死骸などが流れるのみで、渡し舟すら通わない日だった。

日もあろうにわざわざである。頼房は子を連れて、やしきを出、舟にのせて、河幅のもっとも広い三叉の対岸から、

(もとの岸まで泳いで帰れ)

と、千代松にいいつけた。

随行の面々が、色を失って、

(あまりな……)

と、諫め合うと、

(これしきの苦難に負けるようであったら、世のあら波にはなお克ち得まい。さほどの不器用者なら失うも悔いとはせぬ)

と、奔河のなかへ、子を投じた。

濁浪のなかを、敢然、子が泳いでゆくのを見ると、頼房もすぐ裸になっておどりこみ、彼方の岸へ泳ぎつくまでは、さも心配そうに、身の危険も忘れて、子の闘いを見まもって行ったということであるが――彼の訓育は何事につけこうしたふうであった。

四

その頃はまだ、こういう大剛な父性の持ち主は、ひとり光圀の父親ばかりでなく、一般の子弟の上にも、大名の家庭にさえも、かなり多く厳存していたものである。