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ばいりせんせいぎょうじょうき

梅里先生行状記

吉川 英治

「朝日新聞」1941(昭和16)年2月18日~8月24日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 209,260 字 · 418 页

青空文庫

影

一

本殿はみだりに平常用いないが、数寄屋は吉保の安息所として、夜は燈り、昼もよくここに寛ぐ。

「お。……お見えらしいな」

水戸家の臣、藤井紋太夫は、遠く夜を囁くものの気配に、吉保がようやくここへ来たのを知った。

「お待たせいたしました。こちらへお通りくださいませ」

美しい侍女が、やがてかれを誘った。遠からぬ一室に、吉保は待っていた。眩いばかり明るい左右には腹心の者らしい侍臣が二名いるほか、すべて女子が侍していた。

遠く、紋太夫は座をとって、時候のあいさつから始まって、目通りのかなった歓びなど、礼儀はいんぎんを極める。

吉保は、あっさり、

「待たせて、気のどくであった」

と、いったのみである。

それから雑談にうつるとすぐ、

「みな、遠慮せい」

と、左右の者、すべてを、遠く退けてしまった。

親藩の家老とはいえ、格からいうと陪臣である。吉保とは、身分の差がありすぎた。しかし、たったふたりきりになると、主客のあいだは、まったく私交的になっていつか膝を寄せあい、親しげな小声を交わしていた。

「その後、西山のほうは、変りはないか。隠居の動静は、近ごろどうじゃな」

「まったく、百姓めかして、他念なげにはお見うけされまするが、本来、豪毅なお気性、あのままとは存じられませぬ」