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ばいりせんせいぎょうじょうき

梅里先生行状記

吉川 英治

「朝日新聞」1941(昭和16)年2月18日~8月24日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 209,260 字 · 418 页

青空文庫

九

血はただしくひとつであった。

いやその血は、このご父子だけが一であるはずはない。この国土のうえに生業するものすべてひとつの筈であった。それを、強いて複雑に、異ならしめるものは、制度、文化、その折々の世相、個々の利害など、そういうものから来る観念の他人でしかない。

(何かわしは、学問の根柢からすこし考え直す必要をおぼえてきた)

卜幽人見又左はその帰り途で、しみじみと、辻了的に告白した。

了的もふかく考えこんでいた。

修史の大業は始められた。

もちろん準備の程度に。

明暦三年、かれの三十歳頃、ようやく具体化されて駒込の下屋敷に修史館をひらき、当時の名ある学者を史寮に網羅して、いよいよ実際的な研究と編纂に従事しだした。

同時に、あらかじめ又左などが憂いのひとつとしていた財力――出費の額は、想像以上な数字にのぼって行った。

九

寛文十二年というと、かれはもう四十五歳、宿志を立ててから二十七年。史寮を設けてそれに着手してからちょうど十五年になる。

その年、史寮を移して、小石川の邸内のほうへ、新たに「彰考館」をたてた。

高台の勝地であった。

後楽園のさくらや、常盤木をこえて、富士がよく見えた。