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ばいりせんせいぎょうじょうき

梅里先生行状記

吉川 英治

「朝日新聞」1941(昭和16)年2月18日~8月24日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 209,260 字 · 418 页

青空文庫

三

「……そうだ、さきに湯にはいって来よう」

勘太は、つい聞き入って、正行が四条畷に出陣するのを待っていたが、急に思いだして、隣りの銭湯へ駈けこんだ。

ここも贅沢とは縁なき衆生の来るところで、一枚のびた銭ではいれるが、湯ぶねはまっ暗だし、男も女も一しょである。隣りの蓆掛けを、ここは板として、湯気出し窓が切ってあるだけに過ぎない。

その湯気の中で、ひとりの男が、ひとりの男へ、こう大声ではなしていた。

「おい、水戸様のご隠居様が、この頃、気が狂ったッてよ。気狂えになっちまったんだとさ。とうとう」

三

西山荘の老公が発狂したとは――うわさにしても余りにばかばかしいので、勘太は軽石で足のかかとをこすりながら、苦笑をふくんで呆れていた。

「ほんとかねえ?」

と、湯ぶねの中のひとりはいう。

「ほんとだとも」

一方は流しへ上がって、

「おらあ今日、仕事先で聞いて来たのだ」

「この頃は、どこだえ」

「仕事場かい。神田橋内さ」

「じゃあまだ柳沢さまのおやしきへ行っているのか」

「お邸内のお成御殿は、おととしから去年にかけて竣工がっているが、またことしの春も、お成があるというので、庭のお手入れだ。