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ばいりせんせいぎょうじょうき

梅里先生行状記

吉川 英治

「朝日新聞」1941(昭和16)年2月18日~8月24日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 209,260 字 · 418 页

青空文庫

夜前、惨として、老公の前を去ってからおそらく紋太夫は一睡もしなかったであろう。柳沢吉保に乞うて、又四郎、林助の身をもらい受けて来るまでは、必死の弁と生涯の智恵をしぼり尽したことであろう。いかなる利害を説き、いかなる条件のもとに、吉保をして、それを承諾させたかは――紋太夫自身のほか知るよしもないことである。

かれが痛感したにちがいないであろうことは、十年の快楽も、この一夜に償いさせられたという覿面な報いであったろう。それかあらぬか、老公が西山へ帰ってのちも、江戸にあった藤井紋太夫は、およそ二十日余りも、病気ととなえて自分のやしきにひき籠っていた。事実、薬餌に親しんでいたらしい。

春雷一過。

留守のまに、西山の梅は散っていた。けれど、大根の花、菜の花、朧夜の微吟も主の好むところである。

「久しぶり、また汁講を催そう。このたびの世話役は、又四郎と林助に申しつける。近日のうちに廻状、支度など、胆煎せい」

帰山後まもなく、老公からいい出されたのである。それが、ふたりへことばをかけられた初めのものだった。

ふたりは、雀躍りして、介三郎のところへ告げに来た。

「きょう直々、こういう仰せ付けをうけたが、これは勘気をゆるすという御意だろうか。