轻松读懂日语经典作品
ja-reading.com
轻松读懂日语,轻松阅读日语。在线阅读日语经典作品。支持在阅读过程中显示假名、查询生词、翻译句子。
ばいりせんせいぎょうじょうき
梅里先生行状記
吉川 英治
「朝日新聞」1941(昭和16)年2月18日~8月24日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 209,260 字 · 418 页
――光圀が、朝廷へ対し奉っての真心は、そのまま宗家にたいする忠節ともいえよう。なぜならば、朝廷あっての将軍家ではないか、臣職ではないか。――いや、さすがに、あれは見どころがある)
と、まったく、常には聞かない賞め方で、
(よしやそのため、水戸一藩が破滅に遭遇するならば、これは世の中の間違い事と申すもの、光圀の思慮がわるいのでは決してない。――そもそも、あれがまだ十歳かそこらの頃ですら、戦場でもし父が斃れたら如何にするかと聞いた時、父上の屍を踏みこえて敵へ当りますと答えたほどの男の子じゃ。生い育って、青年十八、わが藩の一つやそこら、潰しかねない考えを起したのもふしぎではない。お身達、学問の先輩として、よくあれを扶けて、相談あいてになってやってくれい。たのむぞ)
ふたりは、ひたと、両手をつかえて、何か急に面もあげられない気もちであった。
この親にして、あのお子があったか――初めて大きな実訓をうけたのだった。剛愎、そんなことばではいいきれない頼房の胸の寛さであった。
しかも実に明らかな達見がそのうちにある。光圀のいったところと、頼房のことばとは、まったく一であった。