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ばいりせんせいぎょうじょうき
梅里先生行状記
吉川 英治
「朝日新聞」1941(昭和16)年2月18日~8月24日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 209,260 字 · 418 页
(そのためわざわざ、那珂港の生きた鯛をえらび、お赤飯をさしあげるのでございますが)
(また失念いたしたの。光圀の誕生祝いには、かならず白粥と梅干ひとつでよいというてあるに)
(あ。左様でございました)
家臣はあわてて、膳部を退げた。
年に一度のことなので、膳部の係りも、初めのうちは、よくこんな失態を演じたが、後々には、光圀の親思いが、家臣の個々の心にも沁み入って、決して忘れなくなった。
生母の久子が世を去ってから後である。光圀は、自分の誕生日には、かならず梅干と粥ですましていた。
(産褥の母のすがたを忘れぬのが何よりの誕生日――)
と、侍臣へいった。
また常にいっていた。
(わしほど幸福なものはない。父にめぐまれ、母にいつくしまれ、さらにこの国のうえに、赫々の天つ日つぎの御子をいただいておる。しかも土には四季の花を見て――)
かれは幸福感を偽るひとではない。晩年にいたるほど、つねに何ものへも恩を思うことが深かった。
(いまの身にうけている文化の恩は、すべて、先人の遺業である。われもまた後人へ、何ものかを遺してゆかねば、着逃げ喰い逃げの人生とやいわん……)
などと戯れのことばの端にも、その心操があらわれていた。