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ばいりせんせいぎょうじょうき

梅里先生行状記

吉川 英治

「朝日新聞」1941(昭和16)年2月18日~8月24日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 209,260 字 · 418 页

青空文庫

「そこの瓶掛に、湯がわいておるか」

「沸りかけております」

「茶を入れい」

「はい」

馴れない手で茶を汲んでさし出した。老公はいつもと変らない朝の顔である。しずかに苦茗をすすって、

「文八、これが分るか」

と、机のうえの詩稿を出して見せた。

文八は、口のうちでいちど読んでから、低声で誦した。

忙裏山看我

閑中我看山

相看相不似

忙総不及閑

老公はうなずいて、

「その通りじゃ。……山に対してふと思いおこしたのじゃ。わしの詩ではないが……誰でもよい。よい詩であろ」

「はい」

と、いったが、文八には、十分わかっていないようだった。

ゆうべのはなしなど、少しもないのである。老公はまた、もう一詩を示して、

「ちと思うことがあるから、きょうは終日、たれにも会いたくない。そちは、なるべく門にいて、客を謝す役にあたれ、もし、たって訪問を強請するものが来たら、この詩を示してやれ」

それを見ると、これも老公の作ではないらしいが、こんな明人の詩がかいてあった。

吏事君、怪シムヲ休メヨ

山城、門ヲ閉ズルヲ好ムヲ

コノ山、長物ナシ

唯、野ニ清鶯アルノミ

「貼っておきましょうか」

文八が伺うと、いいとも、いけないともいわず、老公はまた、窓から見える彼方の山と対していた。