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ばいりせんせいぎょうじょうき

梅里先生行状記

吉川 英治

「朝日新聞」1941(昭和16)年2月18日~8月24日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 209,260 字 · 418 页

青空文庫

それだけが――何かにつけ老公のことのみが、気懸りらしく、そう問い返した。

「いや、あれから、すこしばかりお寝みになった。そしてもう常のごとく、お学問所に坐しておられるが」

「……そうか」

すこし平静に返って、

「文八。わしの衣服を、あれまで持って来てくれぬか。このすがたでは、お目通りにも出られぬ」

悦之進は、裏庭の石井戸のほうへ歩いて行った。

手足の泥など洗い、髪も直して身なりをととのえるつもりらしい。

「心得た」

気がるに、鹿野文八は、奥へ駈けて行った。

そのあいだに、悦之進は、顔を洗い、口をそそぎ、髪のみだれも直していた。

衣服をととのえてから、悦之進はまたそっと、友にたずねた。

「今朝ばかりはついお側のご用を欠いてしもうたが、ご隠居さまのごきげんは悪くはないか」

「いや、べつに……。何ごとも平素とすこしもお変りは見えぬ。……だが、貴公のすがたを見ると、あいての者と、行き会ったかのように察しられるが、追いついたのか、下手人をひとりでも、捕えたのか」

「……いや。……いや」

何をきいても、悦之進は顔を横にふるだけであった。

その悲痛極まった面色は、あまりに追究すると、ついには悲涙をすらたたえそうに見えたので、文八も問うことをやめて、黙然、相対していた。