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ばいりせんせいぎょうじょうき

梅里先生行状記

吉川 英治

「朝日新聞」1941(昭和16)年2月18日~8月24日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 209,260 字 · 418 页

青空文庫

静かに、かれはそこを、渡って行った。そして、焔の白くゆらぐ障子の内へ、縁側から両手をつかえて、そっといった。

「紋太夫にございまする。お召しの由、参りおくれましたが、何ぞ、ご用でございましょうか」

「紋太夫か。はいれ」

かれが、そこを開けると、老公は書見台を横へ押しやって、膝の角を折っていた。

「あとを、閉めたがよい」

「はい」

ふと、次の間をふり向いて、老公は、明りの影から遠くひかえている者へ、

「介三郎。そちは、退がっておれ。――境の杉戸は、たれも来ぬように、固く閉めてまいれ」

と、いいつけた。

次のその部屋の薄暗い加減もあろうが、介三郎の白眼が、らんとして紋太夫のすがたを睨まえているように見えた。

介三郎は、ちと、立ちかねて、もじもじしていた。佞猛な野獣の前へ、老いたる主君をあずけてゆく気持が、何としても、不安でならないらしいのである。

「立たぬか」

再度いわれて、

「はっ」

介三郎は縁へ出た。そして橋廊下との境の杉戸もあとから閉めて行ったようである。

「…………」

ややしばし、燭の影が、畳にかすかな揺れを落しているだけだった。

「紋太夫、もすこし寄れ」

「……はい」