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ばいりせんせいぎょうじょうき
梅里先生行状記
吉川 英治
「朝日新聞」1941(昭和16)年2月18日~8月24日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 209,260 字 · 418 页
こういう怨嗟は、いまもある。何かにつけてぶつぶつきこえる。
その輩が、いつか結び、党をなして、何かやっている。
まだ、かれ自身が、藩主にすわっていたうちは、それらの不平も策謀も、抑えられていたが、西山へ隠居すると、莚の下のもやしが陽の目をみたように、にわかに萌芽をそだて出して、わが世の春と、事々に、その一派の擡頭と、闇のうごきが、目立ってきたのもぜひなかった。
奸臣どもめ。
党主は藤井だ。紋太夫だ。
当然、その一派に対抗して、また一派が生じかけている。
が、少数だった。
なぜならば、それに激するものはたちまち、失脚するおそれがある。藤井紋太夫の忌避にふれては、江戸在住も国もと組も、その位置にあることはむずかしかった。
それと。
人はだれでも正義にくみすが、正義のために生活まではなかなか捨てて来ない。だから正義派の陣というものは、旗は多いが、人は稀である。
いちばん多いのは、筒井順慶をきめている日より見組であった。これが家中の大多数で、潮あい次第で、時には奸に阿諛し、時には正に組し、流れにまかせて筏を棹さすようにうまくその日その日を渡ってゆく。
正義派の連中が、そのてあいをさして「いかだ組」