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ばいりせんせいぎょうじょうき

梅里先生行状記

吉川 英治

「朝日新聞」1941(昭和16)年2月18日~8月24日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 209,260 字 · 418 页

青空文庫

すこし世が下って、元禄となると、

(そんな父親があろうか)

と、誰も疑うくらいになったが、光圀の少年期から青年時代は、まだ、戦国の余風が濃かった。粗野な江戸初期の文物のなかに、尚武剛健を骨とする武人がたくさんいた。

それが、正保、慶安、承応、万治――元禄というように、世が推移してくるにしたがって、世風も士風もおどろくばかり変って来たのである。

正保、慶安は、すこし乱兆すら見えた。戦国の残存者の余憤であった。世潮はとうとうと華奢淫逸へながれてゆくのを見ながら、承応、万治、延宝などのあいだは、一般にただ懐疑的であったといえる。

それが、元禄となると。

もう反動も懐疑もない。ものすべて腐爛美を呈して来たのである。現前の逸楽に世をあげて酔いしれている。――どうにもならないもの。それが今である。

こう観てくると、光圀の父親の訓育も、実は、時代の性格であったともいえるし、少年期の光圀、青年期の光圀、それらの時期にあらわされた個性の象も、半分は、時代の風潮が然らしめたものと解しても不当ではないであろう。

たとえば。

かれが途方もない暴君であったとか、手におえない腕白若様であったとかいうことでも、それだけのものではなく、明けても暮れても、馬にのったり、鉄砲をぶっ放したり、泳いだり、喧嘩したり、剣槍の猛練習では、いつも体