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ばいりせんせいぎょうじょうき
梅里先生行状記
吉川 英治
「朝日新聞」1941(昭和16)年2月18日~8月24日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 209,260 字 · 418 页
しかも綱吉が、就職の第一に手をつけた時務のひとつであった。越後中将光長の封を没収して幽閉し、連累の徒をことごとく処分に付したのだから、当時の官民は、
(この将軍家が出ては)
と、戦慄もしたり、また末たのもしくも見たり、とにかく大きな期待をもたれたものであった。
ところが、だんだんちがって来た。かれの母に仕えるのは大孝でなく小孝にすぎなかった。生母桂昌院の勢力というものから、大奥の婦女政治が醸され、妖僧の進言が用いられ「畜類お愍み」などという、民を犬以下に見る法令が出て来たりした。
もっと矛盾したものは、寛永以後、前代にも、綱吉の代にも、たびたび発しられている奢侈禁止令が、桂昌院を中心とする大奥や、綱吉自身のまわりから、まるでその正反対なものを爛漫と驕りはじめて、吉保以下、君側のものまでが、おたがいに、現世享楽の唯物文化に、謳歌し出したことにあった。
四
名君の質のある人でも、名君といわれるまで、生涯をつらぬくには、容易な人間達成ではない。
平ざむらいや、逆境の子弟が功成り名をとげるよりも、はるかに至難である。
なぜなら、王侯の位置にいて、周囲から甘やかされ、わがままも自由にきく境遇にあるだけに、人なみな身の処し方では、名君たり得ないからである。