轻松读懂日语经典作品
ja-reading.com
轻松读懂日语,轻松阅读日语。在线阅读日语经典作品。支持在阅读过程中显示假名、查询生词、翻译句子。
ばいりせんせいぎょうじょうき
梅里先生行状記
吉川 英治
「朝日新聞」1941(昭和16)年2月18日~8月24日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 209,260 字 · 418 页
身こそ西山に退いて、藩政の一切を、嫡子の綱条や重臣たちに委しているが、決して、その自覚からのがれているわけではなかった。
かれが初めて、大日本史の編纂を思いたったのは、十八歳の時だったから、ことし六十五歳、四十七年目になる。
しかもなお、その業は、半ばであった。
それほど大がかりな、また多難な仕事であった。
初め、かれがその抱負を、人見卜幽とか辻了的などという学者たちに諮ってみても、たれもみな、
「お志はよろしいが、いかに副将軍のご威光と財力とをもってしても、そのような厖大な国史の編修など、所詮、いうべくして、できるものではありません。おそらくご成功は望み得ますまい」
と、諫めるばかりで、賛成するものはいなかった。
けれど、かれは、
「自分の一生でやりとげられなければ、二代三代をかけてやる。二代三代でも仕遂げ得なければ、子々孫々にわたっても」
と、誓って着手したのであった。
だからかれは初めから途中の多難も、今日の困苦窮乏にいたることも、知りぬいて、それを甘受している生涯なのである。
(――たれをか恨み、誰をか咎めんや)
藩臣のうちには、いまだにかれの心事もわからず、その事業に対しての不平やら、あげつらいやら、またこういう際にも、汲々と自閥の利と勢力扶植にばかり策謀しているものも多い。