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ばいりせんせいぎょうじょうき

梅里先生行状記

吉川 英治

「朝日新聞」1941(昭和16)年2月18日~8月24日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 209,260 字 · 418 页

青空文庫

「きょうの猪を庖丁いたした彦兵衛にございます」

「碁敵の彦兵衛か。彦兵衛もこれへ来い。なぜ、壁の隅などへ、そう恐れ入っておるか」

「いつぞや、帯刀おゆるしの件で、失敗をやりましてから、お咳の声を聞いても、あのように恐れ入ってばかりおるので」

「はははは。困ったわからずやだの。叱られたと思うておるのか」

「ちとお薬がききすぎた嫌いでございます」

「叱言の加減も難しいのう。これ彦兵衛、来ぬか、ここへ来い」

「へい。へい……」

「なぜ閾の外などにおる」

「でも。……はい」

「わしと碁を打つ腹がまえで、もそっと入れ。それ、杯じゃ」

「おそれいりまする」

「あははは。ふるえおる。なぜそう卑下するか。そちのみが、刀をさしておらぬからとて、卑下する理由はすこしもない。武士、百姓、何のちがいがある、ただおのずから職分の礼儀だにあればよいのだ」

「はい、はい。ありがとう存じますことで」

「その卑屈癖がいかんのう。よせ、よせ、米つき螽のような癖は。第一、そういじけては、碁がおもしろうなくなる」

「いえ、碁ばかりは、老公さまであろうと、負けられませぬ」

「その気概で、酒ものめ、交わりもせよ。みなにも、昵懇を乞うがよい」