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ばいりせんせいぎょうじょうき

梅里先生行状記

吉川 英治

「朝日新聞」1941(昭和16)年2月18日~8月24日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 209,260 字 · 418 页

青空文庫

四

四

口よりも手が早いのを自慢にしているここの小市民だった。不意をくった勘太はおどろいたが、相手は当然なように、

「土百姓め! 失せやがれ」

と、大きく見得を切った。

古来から極めて尊重されて来た「百姓」という称を、かくの如く、あいてを罵る場合や、軽蔑の意味につかい始めて来たのも、江戸に住む近頃の小市民からであった。

将軍さまといえば、無上のものと思い、希望といえば、やりたい三昧な贅沢という答えしか持たないかれらが、その黄金文化の中で、いちばんに卑しんだのは、百姓であったことがわかる。

だが。

今日その、やりたい三昧をやり得ている将軍家以下の武家権門の輩も、つい一世紀前までは、その百姓をしていたことを、けろりと忘れているのである。

三河武士が主君家康を扶けて、かれの大志をなさしめた要因は、三河武士すべてが一致して、農を本とし、農武ひとつに、艱苦を克服して来たからである。

家康も幼少、三河も弱小であった時代には、稗、粟さえ満足に喰えなかったのが――いまの諸大名や旗本の祖先たちであった。

今川家を蚕食し、織田家とむすんで、やや一国の体面をたもってからでも、艱苦貧乏は徳川家の守り神であり、家中の精神をたゆまず研く砥石だったものである。