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ばいりせんせいぎょうじょうき

梅里先生行状記

吉川 英治

「朝日新聞」1941(昭和16)年2月18日~8月24日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 209,260 字 · 418 页

青空文庫

「もう、もう……」

客は酌人の美姫へ手をふった。赤ら顔は酒のせいばかりではない。肥っていてよく光る皮膚にボツボツと黒い脂肪が滲み出している。年配は五十ぢかく、近江近江とよばれて、吉保から気に入られている勘定奉行の吏、荻原近江守重秀であった。

「――近江は、牛のような」

と、吉保は笑った。

座の美姫たちも――笑う。

重秀は、わざと大仰に、

「牛とは、おひどい」

庶民に向ったら、どんなに恐い顔の幅を見せるだろうと思いやられる重秀であったが、多分にお道化もして見せられる半面の持ち主だった。

吉保はことし三十六、どこか貴族気どりに取り澄ますくせはあるが、笑うと実にきれいな歯を見せ、座談といい、すがたといい、いかにも垢ぬけのした知識人という感じを誰もうけるらしい。

「ゆるせ、もういわぬ」

かれはまたそう機智をいって笑わせた。洒落というものを近ごろどこかで覚えて来たらしい。紀の国屋文左衛門などという町人とも、格別の交わりがあるので、文左衛門をめぐる俳諧師や画家などと微行であそびに行かれた先で、そんな風に染まって来たのではあるまいかと、ひそかに眉をひそめている家臣もある。