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ばいりせんせいぎょうじょうき
梅里先生行状記
吉川 英治
「朝日新聞」1941(昭和16)年2月18日~8月24日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 209,260 字 · 418 页
吉保の出世にしても、決して、理由なく築かれたものではない。
二十三歳のとき、綱吉が五代将軍の職につくとともに、抜かれて御小納戸となってから今日まで――かれの忠誠と、かれの天質を傾けた奉公ぶりとは、綱吉をして、
(この男こそは)
と、無二の者と思いこませただけの誠を尽して来たことは、これも、ちがいのない事実である。
だが、かれの誠意は、奉公というよりも、奉私に近いものだった。天下の政務に仕えることをわすれて、ただ綱吉という人間に仕えすぎた。そういう嫌いがあるというよりも、余りにあり過ぎて、ために政治が私された。元禄といういまのあらゆる世態を当然に作りあげてしまった。
いったい、吉保もそうだが、綱吉将軍も世間に思われているような暗愚なひとでは決してない。
むしろ名君となる質があったひとといってよいのである。
壮年から好学のひとで、学問においては、おそらく臣下のたれもかれに比肩できなかったであろう。英邁な気性さえ見られ、わけて生母には孝行だった。
十何年間というもの、紛争に紛争をしつづけていたが、幕府の親藩であるため、たれも断をくだせなかった越後家の大獄を、たった二日で裁いて、明快な処置をつけたのは、綱吉だった。