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ばいりせんせいぎょうじょうき
梅里先生行状記
吉川 英治
「朝日新聞」1941(昭和16)年2月18日~8月24日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 209,260 字 · 418 页
五
――いや世間に絶無かもしれぬと、わしが嘆じた。それを、そちがふと耳にして、いやひとりある。かならず自分の手よりさし出すとて、やがてお蕗を見せてくれたが、なるほど、絶世の美といえる。けれど如何にせん、実は、もて余しておる」
「お困りとは、どういう点で」
「あれが当家に来てから、はや一年近いし、そのあいだ、将軍家のお成りも、一、二度ならずあったが、如何なる貴人のまえに出ても、平常もそうだが、口をきいたことがない。――彼女は唖かと、将軍家もいぶかられて、そっとお訊きになったことすらある」
五
「ははあ。すがたに似あわぬ強情者と見えますな」
「何せい、いくら美しくても、唖では困る……」
「すこしご折檻を試みては如何でしょう」
「そうもなるまい」
「てまえが責めましょう、折を見て。……いや、いまでも、これへお呼び下されば」
「実は、お蕗の身は、惜しいものだが、そちの手へ戻すしかないかと、あぐねていたところじゃ」
「もう一応、説きもし、責めもして、その上におきめください。てまえの手に帰って来れば、不愍ながら生かしてはおけません」
「生かしてはおけぬ?」
「何せい、彼女なれば、あなた様の御意にも召し、将軍家のお眼にもとまろうかと――実は少々無理をいたして、国許から連れ参ったもので、いまとなって、世間へ出すわけにはゆかぬ事情にありますので」