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ばいりせんせいぎょうじょうき
梅里先生行状記
吉川 英治
「朝日新聞」1941(昭和16)年2月18日~8月24日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 209,260 字 · 418 页
十
無理に抜きとろうとすれば、当然、藩の生命取りになるくらいなものを握っている。
加うるに、どういうものか、老公の鍾愛はいまもむかしも変らない。まったく、むかしといっていいほど、それはかれの幼少から今日にいたるものであった。
かれの戸籍を見ると、かれは幕府の旗本荒尾久成というものの四男に生れている。母は木下氏とある。家庭の事情か何か、幼少から寺院の小僧にやられていたものである。一を聞いて十を知るという才長けた天性はその頃から見えていた。光圀が知っていたくその才を愛し、のち老女の藤井の養子にさせて小姓として側におき、順次士分に取りたてて来たものであった。
よく学問し、よく人と交わり、諸史に通じて、弁論にやぶれたことがない。殊に、とかく武人の中には乏しい経済財務にも通じて、何かと重宝なので、光圀がかれを登庸して、三百石、五百石、千石と加増して行っても、藩中不平の声などはなかった。
けれど、次第に出世して、彰考館の総裁にあげられ、転じて、嫡孫菊千代の傅役となり、ついには江戸家老にまで登ってゆくあいだに、そろそろ紋太夫のうちにふかく流れていたべつな本質もあらわれ出して来た。