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ばいりせんせいぎょうじょうき
梅里先生行状記
吉川 英治
「朝日新聞」1941(昭和16)年2月18日~8月24日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 209,260 字 · 418 页
篤実謹厚と見えたが、その裏には、邪智佞才もあった。上下に気うけがよかったが一面には自分へ追従軽薄をなすものを歓ぶふうもあった。藩の理財にいい腕を示しもするが、半面、おのれの利欲にも強かった。行くところ可ならざるなき才をもって、権門に近づき、また、一藩の家老ぐらいな生活では甘んじきれない不足なども抱き始めて来た。
現在千八百石を給されているが、日常、柳沢吉保の豪奢なる生活を見たり、元禄の世態の中に、紀文や名もない成金町人などの暮しぶりを見るにおよんでは、いよいよかれの不足は大きかった。
(この才能をもって生れ、たかだか千八百石がせきの山とは)
と、みずから不満を喞っていた。そして、その欲望を飽満させなければ、生きた効いもないとすら考え出した。かれの胸中いつか包蔵された陰謀の設計は、そうして次第に大胆になって来た。
(あれはお用いにならぬがよい)
と、光圀の師朱舜水は、まだ紋太夫の少年のうちから、かれの将来を案じて、ひそかに注意したこともある。
けれど光圀は、
(人にはかならず短がある。短があれば短を補い、悪癖があれば悪癖を矯正し、ひとかどにして用うるのが主の勤めでもある)