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ばいりせんせいぎょうじょうき

梅里先生行状記

吉川 英治

「朝日新聞」1941(昭和16)年2月18日~8月24日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 209,260 字 · 418 页

青空文庫

「ご隠居さま――」と、身構えのまま、手を振って、

「おそれ入りますが、お屈みください。あの裏道の方から、おすがたを見られぬように……」

「なんじゃ、屈めと?」

老公は、いわれるまま、すぐ身をかくしたが、何のために格外が、鷹のような眼をしているのか、まだ分らなかった。

するとやがて、西山荘の裏門から、ひとりの男が、おそろしいす迅さで走って来た。――ところが、それ以上に脚の早いものがまた、そのあとから跳んで来て、かれの前や後ろを繞り、その敏捷を邪げた。

「しっ、畜生っ。……帰れっ」

男は、石を投げたり、鼻面を蹴とばしたりしていた。よほどその男に馴ついているに違いない。いくら邪慳にされても帰ろうとはしないのである。――西山荘に飼われている、四、五頭の鹿だった。

「ちぇっ。……日頃の恩を、仇で返しゃあがる」

矢のように、先へ心は急くのにと、男はついに脇差を抜いて、鹿を脅かした。

白刃を見ると、鹿もぱッと遠く跳んだ。ところが、それとともに、男は異様な呻きをあげて、勢いよく草むらへぶっ仆れた。そして、手足をばたばたさせていた。

もう、鹿も寄らない。その代りにすぐ側へ駈け寄っていたのは格外渡辺悦之進だった。