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しぶえちゅうさい
渋江抽斎
「大阪毎日新聞」「東京日日新聞」1916(大正5)年1月13日~5月17日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 166,525 字 · 334 页
その六十八
そして成善が近習小姓を仰付けられる少し前に、二十歳で信順の中小姓になったのである。
文一郎は頗る姿貌があって、心自らこれを恃んでいた。当時吉原の狎妓の許に足繁く通って、遂に夫婦の誓をした。或夜文一郎はふと醒めて、傍に臥している女を見ると、一眼を大きく開いて眠っている。常に美しいとばかり思っていた面貌の異様に変じたのに驚いて、肌に粟を生じたが、忽また魘夢に脅されているのではないかと疑って、急に身を起した。女が醒めてどうしたのかと問うた。文一郎が答はいまだ半ならざるに、女は満臉に紅を潮して、偏盲のために義眼を装っていることを告げた。そして涙を流しつつ、旧盟を破らずにいてくれと頼んだ。文一郎は陽にこれを諾して帰って、それきりこの女と絶ったそうである。
その六十八
わたくしは少時の文一郎を伝うるに、辞を費すことやや多きに至った。これは単に文一郎が穉い成善を扶掖したからではない。文一郎と渋江氏との関係は、後に漸く緊密になったからである。文一郎は成善の姉壻になったからである。文一郎さんは赤坂台町に現存している人ではあるが、恐くは自ら往事を談ずることを喜ばぬであろう。