轻松读懂日语经典作品
ja-reading.com
轻松读懂日语,轻松阅读日语。在线阅读日语经典作品。支持在阅读过程中显示假名、查询生词、翻译句子。
しぶえちゅうさい
渋江抽斎
「大阪毎日新聞」「東京日日新聞」1916(大正5)年1月13日~5月17日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 166,525 字 · 334 页
その百十五
或時吉野の主人が「好く気を附けて、人に高ぶるなんぞといわれないようになさいよ」と忠告すると、勝久は急所を刺されたように感じたそうである。
しかし勝久の業は予期したよりも繁昌した。いまだ幾ばくもあらぬに、弟子の数は八十人を踰えた。それに上流の家々に招かれることが漸く多く、後には殆ど毎日のように、昼の稽古を終ってから、諸方の邸へ車を馳せることになった。
最も数往ったのはほど近い藤堂家である。この邸では家族の人々の誕生日、その外種々の祝日に、必ず勝久を呼ぶことになっている。
藤堂家に次いでは、細川、津軽、稲葉、前田、伊達、牧野、小笠原、黒田、本多の諸家で、勝久は贔屓になっている。
その百十五
細川家に勝久の招かれたのは、相弟子勝秀が紹介したのである。勝秀はかつて肥後国熊本までもこの家の人々に伴われて往ったことがあるそうである。勝久の初て招かれたのは今戸の別邸で、当日は立三味線が勝秀、外に脇二人、立唄が勝久、外に脇唄二人、その他鳴物連中で、悉く女芸人であった。番組は「勧進帳」、「吉原雀」、「英執着獅子」で、末に好として「石橋」を演じた。
細川家の当主は慶順であっただろう。