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しぶえちゅうさい
渋江抽斎
「大阪毎日新聞」「東京日日新聞」1916(大正5)年1月13日~5月17日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 166,525 字 · 334 页
その二十七
蘭軒に従学する前二年の事である。
その二十七
天保六年閏七月四日に、抽斎は師狩谷斎を喪なった。六十一歳で亡くなったのである。十一月五日に、次男優善が生れた。後に名を優と改めた人である。この年抽斎は三十一歳になった。
※(「木+夜」、第3水準1-85-76)斎の後は懐之、字は少卿、通称は三平が嗣いだ。抽斎の家族は父允成、妻徳、嫡男恒善、長女純、次男優善の五人になった。
同じ年に森枳園の家でも嫡子養真が生れた。
天保七年三月二十一日に、抽斎は近習詰に進んだ。これまでは近習格であったのである。十一月十四日に、師池田京水が五十一歳で歿した。この年抽斎は三十二歳になった。
京水には二人の男子があった。長を瑞長といって、これが家業を襲いだ。次を全安といって、伊沢家の女壻になった。榛軒の女かえに配せられたのである。後に全安は自立して本郷弓町に住んだ。
天保八年正月十五日に、抽斎の長子恒善が始て藩主信順に謁した。年甫て十二である。七月十二日に、抽斎は信順に随って弘前に往った。十月二十六日に、父允成が七十四歳で歿した。この年抽斎は三十三歳になった。
初め抽斎は酒を飲まなかった。