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しぶえちゅうさい
渋江抽斎
「大阪毎日新聞」「東京日日新聞」1916(大正5)年1月13日~5月17日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 166,525 字 · 334 页
その二十一
十六歳の時、近村の里正今泉氏の壻になって、妻に嫌われ、翌年江戸に奔った。しかし誰にたよろうというあてもないので、うろうろしているのを、日蓮宗の僧日明が見附けて、本所番場町の妙源寺へ連れて帰って、数月間留めて置いた。そして世話をして佐藤一斎の家の学僕にした。妙源寺は今艮斎の墓碑の立っている寺である。それから二十一歳にして林述斎の門に入った。駿河台に住んで塾を開いたのは二十四歳の時である。そうして見ると、抽斎の生れた文化二年は艮斎が江戸に入る前年で、十六歳であった。これは艮斎が万延元年十一月二十二日に、七十一歳で歿したものとして推算したのである。
小島成斎名は知足、字は子節、初め静斎と号した。通称は五一である。※(「木+夜」、第3水準1-85-76)斎の門下で善書を以て聞えた。海保漁村の墓表に文久二年十月十八日に、六十七歳で歿したとしてあるから、抽斎の生れた文化二年には甫めて十歳である。父親蔵が福山侯阿部備中守正精に仕えていたので、成斎も江戸の藩邸に住んでいた。
その二十一
岡本况斎、名は保孝、通称は初め勘右衛門、後縫殿助であった。拙誠堂の別号がある。