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しぶえちゅうさい

渋江抽斎

森 鴎外

「大阪毎日新聞」「東京日日新聞」1916(大正5)年1月13日~5月17日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 166,525 字 · 334 页

青空文庫

その十三

これらの人は皆社会の諸方面にいて、抽斎の世に出づるを待ち受けていたようなものである。

その十三

他年抽斎の師たり、年長の友たるべき人々の中には、現に普く世に知れわたっているものが少くない。それゆえわたくしはここに一々その伝記を挿もうとは思わない。ただ抽斎の誕生を語るに当って、これをしてその天職を尽さしむるに与って力ある長者のルヴュウをして見たいというに過ぎない。

市野迷庵、名を光彦、字を俊卿また子邦といい、初め窓、後迷庵と号した。その他酔堂、不忍池漁等の別号がある。抽斎の父允成が酔堂説を作ったのが、『容安室文稿』に出ている。通称は三右衛門である。六世の祖重光が伊勢国白子から江戸に出て、神田佐久間町に質店を開き、屋号を三河屋といった。当時の店は弁慶橋であった。迷庵の父光紀が、香月氏を娶って迷庵を生せたのは明和二年二月十日であるから、抽斎の生れた時、迷庵はもう四十一歳になっていた。

迷庵は考証学者である。即ち経籍の古版本、古抄本を捜り討めて、そのテクストを閲し、比較考勘する学派、クリチックをする学派である。この学は源を水戸の吉田篁に発し、※(「木+夜」