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しぶえちゅうさい
渋江抽斎
「大阪毎日新聞」「東京日日新聞」1916(大正5)年1月13日~5月17日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 166,525 字 · 334 页
その十五
六十四歳の時の事である。躋寿館には独美のために始て痘科の講座が置かれたのである。
抽斎の生れた文化二年には、独美がまだ生存して、駿河台に住んでいたはずである。年は七十二歳であった。独美は文化十三年九月六日に八十三歳で歿した。遺骸は向島小梅村の嶺松寺に葬られた。
独美、字は善卿、通称は瑞仙、錦橋また蟾翁と号した。その蟾翁と号したには面白い話がある。独美は或時大きい蝦蟇を夢に見た。それから『抱朴子』を読んで、その夢を祥瑞だと思って、蝦蟇の画をかき、蝦蟇の彫刻をして人に贈った。これが蟾翁の号の由来である。
その十五
池田独美には前後三人の妻があった。安永八年に歿した妙仙、寛政二年に歿した寿慶、それから嘉永元年まで生存していた芳松院緑峰である。緑峰は菱谷氏、佐井氏に養われて独美に嫁したのが、独美の京都にいた時の事である。三人とも子はなかったらしい。
独美が厳島から大阪に遷った頃妾があって、一男二女を生んだ。男は名を善直といったが、多病で業を継ぐことが出来なかったそうである。二女は長を智秀と諡した。寛政二年に歿している。次は知瑞と諡した。寛政九年に夭折している。